2010年3月18日木曜日

福原愛の強さの秘密



  
福原の両親は福原に徹底的に卓球の英才教育を施した。3歳から卓球を始め練習時間は毎日4~5時間、今では7~8時間。年に休みは3日程度。コーチは専属の中国人を住み込みで契約している(時には元中国チャンピオンなど)。その方針は今も続いており、現在はカットマン専門のコーチ含め2人が専属コーチで常に福原と帯同している。正月などは頻繁に中国合宿を繰り返し、中国の技術を体に染み込ませ、コミュニケーションの為中国語も身につけた。コーチが瀋陽出身であることからその発音には訛りがある。

福原愛の卓球スケジュール、練習方法を決めているのは当初は卓球経験者の母親であったが、その後は父親蜩アになり今はマネジメントなど含め全て管理している。福原が小4の時、突然大阪に引越しミキハウスとプロ契約を結んだ(注・2001[年4月から日本卓球協会はレジスタードプロ制度をなくした。これにより、以降は子供選手でも誰でもプロ(商業)活動が出来るようになっている)。一家はミキハウス本社のある大阪府八尾市に引越し、福原は当時できたばかりのミキハウス練習場に通うようになった。この時に、王子卓球クラブの作馬六郎に「王子サーブ」を習得し、以降このサーブは福原愛の代名詞ともなった(今はほとんど使っていない)。

大阪では公立小学校に通っていた。中学は大阪の強豪である私立四天王寺中への進学を考えていたが、福原はプロ契約してる為、全中やインターハイなどに規定で出場できないという懸念があった。結局地元公立中へ入学したが、一ヶ月でスポーツの名門私立学校、青森山田中学校に転校した。青森山田中は中高一貫教育を目指してその年に開校。法人は卓球専用の体育館などの施設を備えている。同校を選んだのはミキハウスJSCに所属したままプロ活動をしたいという福原サイドの意向に、理解を示したのが大きな理由である。これにより福原は多くの卓球遠征が可能になった(その後福原は「卓球界に大きな貢献をした」ということで、全中もインターハイも国体も特例で出場できるようになった)。

ミキハウスは青森JSC(ジュニアスポーツクラブ)という組織を作り、福原をその所属とした(他には青森大学の坂本竜介などがいて、混合ダブルスペアをよく組んでいる)。小西とはダブルスで全日本3連覇した(2005年以降、代表では藤沼と組んでいる)。

ミキハウスの4年契約が終わった後、ミキハウスからもオファーはあったが、福原サイドはグランプリと4年契約することにした(2005年4月)。グランプリは福原が青森山田高校に通うことを承認、中国リーグに2年連続で参加することも支援した。父は高校卒業後の進路として当初、大学も青森山田学園系列の青森大学を考えていたが、福原本人が早稲田大学スポーツ科学部を強く志望し、2006年8月より書類提出、面接を経て、9月13日、早稲田大学スポーツ科学部に合格が決まった。専攻はスポーツ文化学科である。早稲田大学としては2年目の実施となる同学部のトップアスリート入学試験を行い、福原含め6人が合格した。スポーツ科学部のキャンパスは所沢市にあり、練習場は新宿区にある。

2007年4月1日には早稲田大学スポーツ科学部に入学し、青森から東京の阿佐ヶ谷に引っ越した。2007年4月3日、全日本空輸 (ANA) との所属契約(単年)を発表、同時にグランプリとの4年契約を2年で終了したことを発表した。父は「大学進学で東京に住むこともあり、環境すべてを見直したかった」と説明している。

福原は入学前「インカレなど大学の試合に出たい」と言っていた。福原の入学を受けて学連と協会は、プロ選手が大学の大会に出場できるように事前に規約を改正までした。福原は大学入学後の5月の春期リーグは出場するも、チームを一部昇格に導くことはできなかった。8月のインカレ(全日本大学対抗・団体)は欠場した。また、同月の大学生の国際大会であるユニバーシアードの日本代表にエントリーされていたが欠場した(どちらも日程が国際大会とかぶる為ではなく、個人合宿の為である)。9月の秋季リーグも欠場(しかし早稲田女子卓球部は福原抜きで44年ぶりの一部昇格を決めた)。「大学に入ったのに、大学の試合に出ない」という状況が続いており、今後の出場予定も白紙である。北京五輪前年である為、2007年度はツアーに積極的に出場し、秋田での個人合宿を増やしている。

2008年1月全日本選手権惨敗直後、福原が大学の授業になかなか行けない為、また2008年が五輪イヤーでもあることから関係者が福原の休学、あるいは中退を示唆していた(福原は入学後、練習を東京の早稲田大学の卓球部では行わず、個人での練習を続けており、しかも秋田の温泉施設と青森山田高校を拠点とし続けているため、余計に学業の支障が出ていた。また2007年度は北京五輪出場を見越し高い世界ランクを維持するため、海外の卓球ツアーに多く出たため欠席も多くなった)。しかし2008年2月9日、福原本人が学業と両立したいとのことで、早稲田を中退も休学しないと学校に伝えたと発表された。可能な限り出席し、レポートで単位取得を目指すとの事。

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