2010年3月18日木曜日
福原愛の卓球スタイル
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右利き前陣速攻。中国卓球の経験を積んでいる事から、中国スタイルの卓球である。その為中国人には手の内が読まれ苦手意識があるが、中国以外のヨーロッパ等の選手に強いのが特徴である。
世界ランキングこそ日本でトップだが、国内大会に弱く優勝タイトルに乏しい。全日本卓球選手権でもベスト4が最高と不本意な成績を残している。優勝を絶対視され最高学年で参加した2007年高校総体でも準優勝に終わった。
ペースの速い卓球で、ラケット裏面には粒のある表ソフトラバーを貼り、ナックルなどの変化球を出せる。ちなみに、小学生の頃は日本卓球協会の規定で違う種類のラバーを貼れなかった為、両面表ソフトラバーであった。
「試合中、みんなが思っている以上に何も考えていません」と話すように、作戦をあまり考えないタイプの選手で、代表監督からも怒られたりしていた。それゆえに研究されると弱い一面を持ち、本人は「ビデオ研究すると、相手が強く見えるから嫌い」とあまり研究したがらない。その割にラバーを貼ったりするところを見られるのを非常に嫌い、会見などで自分の問題点を言う事を避けたがる一面も持つ(相手に有益な情報が広がる為)。
流れを変えるのが難しいらしく、勝つ時は圧勝して勝つが、流れが悪くなるとその流れを変えられない事も多い。体が柔らかく、低い打球点から繰り出すバックハンドは世界でもトップクラスである。中学、高校前半の頃はよくピンチで王子サーブというしゃがみ込みサーブを使っていたが、今は返されることが多い為、全く使っていない。単調なショートサーブが多く、またフォアハンドが弱い事も課題として度々指摘されている。
福原は当初あまりかけ声を出していなかったが、中学後半ぐらいから徐々に大きなかけ声を出すようになり、アテネ五輪で「サー!」は福原の代名詞ともなった(もっとも卓球でこのように声を出す選手は多く決して珍しいことではない)。ただ、強い相手などにはかけ声が全然出ない事もある。「サー!」のかけ声には最大で3連続「サー!サー!サー!」もあり、「サー!ナイスボールサー!」もある。気合が入ると相手がミスしても「サー!」が出る。声が裏返る時もあり、年々闘争心が強くなっている。福原は「かけ声をかけるという事は、自分が点を入れているという事なので、いっぱい叫びたいですね」と話す。声の音程には気を使っており、「会場で他の人と同じような音を出すと意味が無いじゃないですか」ということで今の甲高い声になったらしい。
「シングルより団体戦の方が好き」と昔から話している。応援の声も人一倍高く、熱心に応援している。
小学校時代は「ヨー!」(「よーし」の略)というかけ声を使っていたが、中学以降は思春期に入ったためにこのかけ声を使わなくなり、その代わりに中国の選手達の影響で「サー!」を採用したことを、2006年10月30日放映のフジテレビ系列番組SMAP×SMAPで明らかにした(たまに間違えて「ナー!」になる事があるらしい)。
小さい頃から天才少女と言われてきた理由の一つに、同世代の国内選手には絶対負けなかった事がある。中1で全日本ジュニア(高校以下)を制すとその後3連覇。どの大会でも一度も負けなかった。だが2006年8月のインターハイ、シングル決勝で同じ年齢の宇土弘恵(就実)に初めて負けを喫した(ストレート負け)。尊敬する選手は王楠。左利きに憧れている。国内ではカットマンや、粒高ラバーなどの異質攻撃選手に苦手意識があるようである。
2004年度末まで日本代表監督は西村卓二で、特に中学時代多くの熱血指導を受けてきたが、その後は近藤欽司が協会より代表監督に指名され、現在も指導している。
2007年全日本後あたりにラバーをハイテンションラバーに変え、フォームも振りを大きくするなど今までに無い改革に取り組んでいる。2006年11月のワールドカップでティエにストレート負けしたのを見て父は、海外では速い球を打てないと通用しない、と考え「一度愛の卓球スタイルをぶっ壊す」と言っていた(しかし、その後もスランプが続いたため、戻したという話もある)。
幼児期を除いて試合後、泣くことはほとんどなく、また勝って泣いたことは一度も無かったが、2008年2月の第50回世界卓球選手権広州大会、予選の韓国戦では5番手でフルゲーム、デュースの末に勝利し一位通過を決め、福原は珍しくメンバーと号涙し、喜んだ。
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