2010年3月18日木曜日

福原愛のエピソード集  

血液型はB型。お菓子が大好き。好きな飲み物はクリームソーダ。

愛犬は黒のミニチュアダックスフント。名前はチャッピー。2006年10月に購入。当初、福原はトイプードルを買いたかったらしいが、兄に「それじゃ、浅田真央ちゃんとかぶっちゃうよ」とさとされミニチュアダックスフントにした。

口ぐせは「すごい」で、会見では頻繁に聞かれる。「やばい」「超」なども普段はよく使う。

父親は秋田県、母親は宮城県登米市出身。
2008年5月4日に仙台市体育館で開催された北京五輪壮行試合と日本リーグ・ビッグトーナメント仙台大会に出場した福原は、開始式で「青葉区国見ヶ丘出身です」と発言し、会場を沸かせた。この大会には、福原のほかに仙台育英学園高等学校卒の平野早矢香および岸川聖也の両選手も出場し、仙台ゆかりの北京五輪卓球代表3人が揃って参加し賑わった。

「愛」という名の由来は母方の祖母、愛子から一字もらっており、「みんなに愛されるような子に」という願いをこめて父が命名した。卓球を始めたきっかけは、10歳離れた兄が中学から卓球を始め、経験者の母は息子の卓球練習にかかりっきりになり、自分も構って欲しくてやり始めた事だった。

NHK、2004年正月の番組で足型を取ったところ偏平足であった(他にイチロー、末続慎吾も)。フジTVでは安藤アナが多くの練習で足の裏にまで筋肉がついた為に扁平になった、と説明したことがある。足は24cmと大きいので、本人はもっと身長が伸びると思っていたが中3で成長は止まってしまった。現在公称155cm。
時期により体重の増減が大きい(練習量が多く、その分食べる為)。大きな大会が始まると緊張、疲れから食が進まなくなり痩せてしまう為、大会前は多少体重を増やして臨むことが多い。ベストは48キロ。母は小さい頃食が細いのを心配していたが、今はその必要はないようである。
アテネ五輪では家族が大量のおにぎりを会場に持参したが、入り口の持ち物チェックで「爆弾ではないか」と係員に一時引き止められた。

「20歳になったら自由なので早く(20歳に)なりたい」と話していた。

子供好きだが、小、中学生ぐらいの大きな子は苦手と話している。

2004年1月のクロアチアオープン中に39度の高熱になり、スポーツニッポン新聞がマスク姿の福原を一面に載せた。

2006年4月26日に世界卓球選手権(テレビ東京)の放送時間が30分延長され、同日の番組が30分ずれたが、その為番組の録画に失敗したということで抗議文と人骨のようなものが局に送りつけられた。番組はTV東京アニメ「いぬかみっ!」とされている。差出人は分かっていない。同日はシンガポールとの一戦で、福原愛が強豪リ・ジャウエイを下し、予選リーグ通過を決めた試合だった。

大阪は2008年度五輪開催地として正式に立候補し、さまざまな招致活動を行ったが(大阪オリンピック構想)福原愛を誘致のシンボルの一つとした(福原が大阪に引っ越した一つの要因ともされる)。大阪は大阪五輪の盛り上げの一環として、2001年に世界卓球選手権シングル、団体(同時開催)を大阪に誘致し、福原愛もエキシビジョンとして桂三枝とオープニングマッチを行なうなどして、盛り上げた。

座右の銘は「よく寝て、よく食べ、よく笑う」だったが、2006年に兄から変更を促され「一意専心」に変わった。

GP・GATE制作のアニメ「こてんこてんこ」で再びアイちゃんが出てきた2006年5月4日、7月6日、7月13日、の回の声優はかないみかになっていた。
幼少時、「明石家さんまのスポーツするぞ!大放送」に出演した時、明石家さんまとの試合で敗北し、番組中に泣いたことがある。

幼少時に、デーモン小暮との対決で山なりの叩きつけサーブを打たれ、福原はボールに届かず悔しくて泣いた事がある。

2005年放送「おしゃれカンケイ」では、泣くところを撮られる事よりも、泣くまで撮影が続けられたと語り、それについて嫌な思いをしたと発言している。

これまでマスコミに福原愛2世と呼ばれた選手は石川佳純と平野美宇、三村優果の3人である。因みに「男愛ちゃん」と呼ばれた森薗政崇もいる。

卓球以外のスポーツは苦手らしく、高校では体育は好きな教科でなくなったとの事。小さい頃は水泳教室にも通っていて、親は卓球と水泳のどちらに専念させるか考えていた時期があった。ランニングが苦手らしく、自分がリレーに入るといつもチームがビリになるらしいが、2005年以降はランニングなども強化し、筋力をつけスピード、パワーのアップを図っている。

スコートをたまに履くことがあり、2006年1月の全日本選手権ダブルスで小西と共にスコートを履いた。同大会ではベスト4まで進出したものの、「試合に集中できない」というコメントをしており、決してスコートは好みではない様子。

2004年10月、埼玉県彩の国まごころ国体では、会場の春日部ウイングハット(客席3,500人)に連日5,000人もの客がつめかけ、国体初の入場規制がされることもあった。
秋田県湯沢市の稲住温泉敷地内に卓球道場が10月26日に完成。移築してあった旧秋ノ宮村役場(白井晟一設計の建造物)を改装した。

幼少の頃「天才卓球少女」としてTV出演をしていた時代の変わった卓球対戦相手としては、1994年W杯アメリカ大会東アジア最終予選の際にサッカー日本代表にロスタイムで同点ゴールをあげ、日本代表のW杯初出場の道を閉ざした(いわゆる『ドーハの悲劇』)イラクチームの選手達が挙げられる。その番組出演時には明石家さんまとも対戦した。

2008年6月、北京五輪選手で「さわやかな汗がもっとも似合う人」女子1位に選ばれた。2位はバドミントンダブルスのオグシオ(小椋久美子・潮田玲子ペア)、3位は柔道の谷亮子、男子1位は競泳(平泳ぎ)の北島康介。

2008年9月、東京代々木体育館で、不審な男に追い掛け回されるハプニングがあった。男は婚姻届を持ち福原にサインを迫ったが、早大卓球部監督の機転で難を逃れた。

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